ははログ。〜気ままな日常キロクと卵巣胚細胞腫瘍のこと〜

はじめまして!卵巣胚細胞腫瘍の闘病記録とともに、日常のあれこれ書いてます!

長男小5の自由研究〜魚トラップを仕掛けてみた〜

すっかり生物マニアになってきた小5長男。

今年の自由研究は・・・

 

「地域の生き物調査〜魚トラップを仕掛けてみた〜」

 

というもので。近所の河川、小川にトラップを仕掛けて何の生き物がいるのか調査するというなんだか面白そうなことを思いついた長男。

 

さて、さっそく夏休み序盤、YouTubeでトラップの作り方・設置方法など情報収集していました。そして作成したのがこちら↓↓

 

7月上旬、決行しました。

 

場所は・・・

近所の4カ所↓↓

※近所だからいいだろうと思っても川は危険です。お子様には大人がついていきましょう!!

 

仕掛けたのは夕方5時。

製作したペットボトルのトラップと川には一緒にAmazonで購入したこの網のトラップ(下の写真のもの)を仕掛けました。

 

 

 

餌は、魚肉ソーセージなど利用してもいいようですが、同じ買うならと網と一緒に餌も購入しました。多分釣り用のやつ↓↓

 

 

沈めるための重り用に小石をいれ、餌には「まき餌ペレット」をいれ、いざ投入!!

・・・浮いてくるやん(~_~;)

 

さらに石を追加して、何ならそこら辺にあった小さめの岩も入れて投入!重さがあるので、大人(私)が投げ入れました。

無事沈んだので橋に紐をくくりつけて、セッティング完了!!

 

小川の方は、ペットボトルに小石を入れて(内部に水が入ったら、簡単に沈みました)、傍に生えている太めの植物の茎にくくりつけて完了!!

翌朝7時に回収に向かいました。

 

【橋】

バケツに移すとこんな感じ。

予想よりかなり多くて、予備に持って行っていたバケツに分割しました!!

 

小魚、ヌマエビ、オタマジャクシがいました(^_^)

あと、網トラップの側面に、ヤゴの抜け殻がついていました!!

足場にして羽化したのでしょうか。



小川の方へ移動中に出会いました🐍

 

【小川】

貝類

エビ

タニシ、貝がゴロゴロ。写真の種類のが50匹くらい入っていました。そして、川と同じくヌマエビ。見た感じ魚は泳いでましたがトラップには入っていませんでした。

 

子供達は引き揚げのたびにテンションあがりまくり笑

大人も楽しめたお魚トラップでした^_^

観察したあとは生き物すべて同じ場所に戻しました。(オタマジャクシだけ名残惜しそうでしたが・・・^^;)

 

今回の実験では、ペットボトルのトラップでもしっかり捕獲できていたので、市販のトラップ網に差はあまり感じませんでした。ただ、トラップ網の方が広いので入りやすく「捕獲量」という点ではメリットはあるかもしれません。

 

住んでいる地域は県内でも人口は多い方ではありますが、まだまだ自然が残っている場所でもあり、こうして生き物たちがたくさん生息していることを再認識できました。

引っ越してきた7年前は、今回トラップを仕掛けた小川にオタマジャクシがウヨウヨ泳いでいてカエルの鳴き声も大音量だったんですけど、少なくなっているのを実感しています。

生き物が住んでいることを知ってほしい!!という思いも込めて、自由研究にまとめ、好評だったようで、来年の計画も始めていました。

 

 

胚細胞腫瘍〜その後の話〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

 

今回は、その後の話。

2010年4月に体の不調により受診してからすべての治療が終了したのが2011年2月。(その間の手術・抗がん剤治療などなど、過去のブログをご覧ください♪)

最終的には“寛解”状態で退院しました。

2011年2月上旬に退院して、2011年2月下旬に仕事復帰しました。

2011年2月仕事復帰

・・・これ、今から考えたら、もう少し休んでもよかったんじゃない!?って思ったりもしますがますが^^;

2月初めに受けた再手術が簡単なものだったので体力の消耗はほとんどなく元気だったのもありますが、仕事への「焦り」もありました。

突然長期休むことになって、休んでいる間は代理の方がいたのですが、あくまで“代理“であって、いわば“席を残してくれている"状態。退院の挨拶に伺った時に感じた「圧」もあったりなんかして…そんなこともあって、早期に復帰しました。

んーーーーー(大きな声ではいえませんが)ブラックを感じる状況・・・( T_T)

 

それはさておき、ほぼ半年ぶりの仕事。

慣れた職場とはいえ、かなり疲れました。やはり体力は低下していました。

あと、抗がん剤の影響で食欲が増したのですが、昼食を待たずしてお腹が空いて、それを我慢するのが大変でした^^;

 

◆婦人科診察

2011年2月下旬

採血、内診ともに特に異常ありませんでした。

入院中減少していた白血球も正常値に戻っていました。

抗がん剤治療中には抜けずに残っていたまつ毛、眉毛がほぼ抜けてしまいました。診察の時、主治医の先生に聞いてみたところ、時間差で抜けることは聞いたことがなくてはっきりとした原因は不明だけど、まぁ、副作用の影響だろうなぁ、、、とのこと。

髪が抜けた今、そんなに驚くこともなく「まぁ、そのうち生えるっしょ」って軽く思っていました。

婦人科は1ヶ月に1度の頻度で受診でした。

毎回採血と内診で、異常はありませんでした。

 

◆ウィッグ生活について

頭皮が接触性皮膚炎を起こしました

季節は冬。髪がないとめちゃ寒いです( T_T)

2月の退院後から毎日ウィッグにお世話になっていました。

普段使っているウィッグの他に、ロングヘアのもの、ミディアムパーマのものなど、今の髪のない時期に色々髪型を楽しもう♪と思ってネットでポチってました^_^

 

ネット帽を被ってからウィッグを着けるのですが、髪がなく地肌にネットなので痒くて>_<頭皮が軽い「接触性皮膚炎」を起こしていました。乾燥も一因のようです。髪が抜けた頭皮って、他の露出している皮膚(腕とか足とか顔とか・・・)に比べて触った感じ皮膚が柔らかい気がしました。皮膚が弱いのかな〜なんて素人ながらに思ったり。

外用薬で治療していましたが、それでもウィッグを被っているのでなかなか改善せず。家にいる間はウィッグなしで帽子もなしで生活していました。

寒いんですけどね・・・。

春頃(3月下旬)には、症状は改善しました。

 

そして、その頃うっすら産毛が生えてきました

毛が生えてきた!!

そう、全脱毛状態からうっすらと髪が生えてきました\(^^)/

2010年12月中旬に治療が終わってから3ヶ月が過ぎた頃。思ったより早かったです。鏡で目をよーーーーーーく凝らして見たらですけど(^_^;)触ったらフワッと柔らかいです。

多分、言われてみないと他人にはわからないレベルですが、生えてきた喜びはかなり大きかったです。

産毛が生え始めて、徐々に生えてくる毛が太くなり、濃くなり・・・。

7月上旬、いよいよ脱ウィッグしました!!!

 

脱ウィッグ

7月上旬。髪が生えてきて、もう頭皮は見えていません。眉毛、まつ毛も生えてきました。

髪は生えっぱなしなので長さは揃っていないので襟足だけが長くて、ウィッグからチョロっとはみ出していました。

 

そろそろ脱ウィッグしようかな。

 

ということで、ずっと通っている美容室で揃えてもらうことにしました。で、ベリーショートで脱ウィッグ生活のスタートです♪

ウィッグは洗わなくてもいいし、軽いし、なんてラクなんだ!!!

こうして、ウィッグたちとお別れしました。

 

◆もっとその後の話。

髪が生えてきて、婦人科的にも毎月の診察で全く異常はなく・・・見た目も中身もすっかり落ち着いて、元の日常に戻って毎日を過ごしていました。

 

そして翌年2012年、結婚しました。

私が一番気にしていたこと。治療前に「抗がん剤によって不妊のリスクがある」という説明を受けていたことが、私の中では引っかかっていました。が、彼は「子供がいないなら、それはそれで人生を楽しんで過ごそう」と言ってくれたのでした。

「子供ができなきかも」という中で、結婚したのですが・・・・

 

2013年3月、長男出産しました。

夫、両親、義両親、主治医、そして私・・・結婚後数ヶ月後に妊娠が判明した時には全員が驚きでした。

妊娠中は特にトラブルもなく経過し、破水からはじまったお産も初産にしては安産でした。婦人科の主治医の先生が「自分がとりあげる」と病棟の助産師さんに言っていたそうで、当番医ではなかったにもかかわらず、朝早くから来てくれました( T_T)

 

そして、2015年、次男出産しました。

次男が生まれたのは、長男がもうすぐ3歳になろうかというときでした。妊娠中は全くと言っていいほどトラブルはなく。いざという時子供も泊まれる実家近くの産院で出産しました。

 

38週のある日、夕食中に痛ててて・・・って感じの歩ける程度ですが痛みを感じたので、一応産院に電話して「じゃ、一応内診してみましょうか〜」と助産師さんじいちゃんに産院に送ってもらって(私だけ降りた)産院の階段上がって受付途端に本格的に陣痛の痛みを感じる内診。すでに全開分娩台乗った途端に破水1分おきの陣痛頭が見えてる3回いきむ生まれる(所要時間:夕食から1時間20分)

立ち会い出産できたにもかかわらず、誰も間に合わず(笑)

と言った具合の、バタバタの出産でした。

 

この子供達も成長し、主な趣味が、

鉄道・昆虫・動物

です。

今後、これらを中心に日常のことも投稿して行こうかと思っています( ^∀^)

 

 

 

 

 

胚細胞腫瘍〜BEP療法後、再手術の話〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

前回お話ししましたが、2010年12月にBEP療法が終了して、年明け1月にMRI検査した結果、卵巣内にごく小さな腫瘍か何かが写っているとのことでした。保存して様子を見てもいいけど、万が一腫瘍の残存なら、また大きくなってきて…と恐ろしいことを言われ^^;

 

もう同じ目に会いたくなーい!!

 

最終決着だ!!!

 

ということで、再入院・再手術が決定しました。

 

小さな腫瘍とはいえ、全身麻酔です。

 

\第1回目の手術の様子はこちら/

hahalog2022.hatenablog.com

 

手術前日

前回同様、主治医・看護師・麻酔科から手術前の説明がありました。

看護師さんの説明より、今回も浣腸があるそうです涙(ちなみに、抗がん剤により脱毛しているので剃毛はありません^^;)

 

手術当日 

朝イチの手術のため、今回も起床前に浣腸です。

その後、もちろん朝食はなく手術室に移動する8:30頃まで暇をしていました。テレビ見てもなんか入ってこないし、2回目とはいえ手術は不安です。

ちょうど8:30、看護師さんが迎えにきてくれました。歩いて手術室へ向かいます。手術室に入ると、1回目の時と同じくベッドに上がってあれよあれよと点滴したり機械をつけたり・・・で、あっという間に眠ったようです。。。

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今回は病室に戻るまでの記憶がなく(返事はしていたらしい)、昼過ぎにはっきり目が覚めて、主治医に先生から

 

「よかった!!腫瘍ではなかったよ!!」

と告げられて、、、胚細胞腫瘍の治療すべてが終わりました。(正確には寛解ですが^^;)

 

手術の所要時間は1時間弱と短かったようで、腫瘍ではないことがわかってすぐ終わったとのことでした。

しかし今回も術後はしんどくて、天井はグルグル回ってるし、吐き気はするしで、起き上がるまで時間を要しました。が、動けば回復が早くなることを前回の手術で学んだので、しんどいながらも気合いで起き上がっていました(~_~;)

2日後にはヨタヨタながらも歩いてトイレへ行くこともできるように。しかしその後の回復は早く、異常もなかったため5日で退院しました。

 

先ほども言いましたが、、、

 

すべて終わったのです。

寛解状態です

 

長かった闘病生活が、一区切りです涙涙

 

病棟でたくさんの出会いもあり、お別れもあり・・・

病気をするまで気づけなかった、たくさんのことに気づかされ・・・

私が気づいた最も大きなことは

「あたりまえの日常に感謝」

でした。

これから、仕事にも復帰して、もとも生活に戻っていきます。

この気持ちを忘れず、生きていきたい。そう思っています。

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ここまで長くなりましたが、入院中から記していた「卵巣胚細胞腫瘍の話」。自身の日記に残している内容になります。

 

次回からは、その後定期検査のことをはじめ、子供が生まれたこと、子供の趣味に全力を注ぐ母(私)の姿をアップしていきたいと思っています。

これからもよろしくお願いします( ´∀`)

卵巣胚細胞腫瘍 〜BEP療法 退院後〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

 

BEP療法とは・・・ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンという3つの抗がん剤を併用する治療法です。

 

12/17に退院したわけですが、退院して実感したのが体力の低下でした。

入院中はほぼ病室で過ごしていて、移動はトイレと、売店とか検査とか、限られた距離なわけで。母と買い物について行って(スーパーは自宅マンション前)、帰ってきてヘロヘロ・・・みたいな。

次回の検査、もしかしたら再手術(※下記リンクを参照)を考慮して仕事復帰は2月下旬から3月。それまでに体力回復に努めないと( ̄◇ ̄;)

hahalog2022.hatenablog.com

毎日、近所10分からウォーキングをスタートしました。

体力面はもちろんですが、あいかわらず空腹との闘いです。変に「食べ癖がついてしまったようで・・・。体重は治療により減少したのですが、このままでは治療前よりはるかに増量してしまいそうで、けど、食欲に負ける日々(^_^;)

 

そんなこんなで、大晦日

今年一年、4月から体調に異変を感じてからの年末まで入院。この2010年をほとんど病気に費やしたなぁ…としみじみ。年明けの検査ラッシュでこれ以上の病変が見つからないこと、おそらく2月頃に再手術になるであろう卵巣内の極小さな腫瘍が何もないことを祈るばかりです。

 

2011年1月

年が明け、「治療直後で白血球数が元には戻っていないので、なるべく人混みは避けて」との主治医の先生からの忠告を守って、寝正月してました笑

そして、1/4の病院の診療開始日から早速検査の日々です。

 

◆PET検査と結果

診療初日1/4、他の臓器への転移がないか、再発がないか、全身を検査です。

当日は朝から絶食。検査室でソファが備わった個室でまず注射。リクライニングができる快適ソファでじっと待つこと約1時間(なるべく動かないように言われていました)。検査台へ移動して、じっくり(30分ほどかかっていたのかな?)検査。

異常は全く見られませんでした!!!

 

◆採血

採血でひと通りの項目をチェック。腫瘍マーカーは平常値になっていて、白血球もほぼ元通り。他全く異常はありませんでした!!

 

MRI

「いつもの」って感じで、もう慣れたもんです^^;なので今回は省略します笑

 

で、結果は・・・

 

やはり卵巣内に極々小さな、腫瘍なのか単なる何かの影なのか、何かが写っているとのこと。手術をどうするか問われました。ちなみに、万が一腫瘍ならまた大きくなってくる可能性もあると。

ここまでやったら、最終決着つけないと落ち着かない!!!

・・・ということで、2月に再入院、再手術が決定しました。

 

 

 

 

卵巣胚細胞腫瘍 〜BEP療法 最終週!3クール3週目〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

 

BEP療法とは・・・ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンという3つの抗がん剤を併用する治療法です。

 

3クール3週目

 

昨日、12日(日)に市内でマラソン大会が開催されていました。病院の近くを通るとあって、外出可能な患者さんは「外出届」を出して観に行っていたようです。病棟ががらんとしていたので、婦人科病棟から結構たくさん行っていたっぽいです。

私は、外出不可だったので、窓から聞こえる声援の声を聞くのみ( ;∀;)

 

さ、いよいよ最終週です!!

ゴールは間近✌︎

 

2010.12.13(月)3クール15日目

隣の病室のおばあちゃんがせん妄状態なのか認知症なのか、夜間に大声が聞こえてきて、看護師さんもパタパタ出入りして、熟睡できず・・・。

しかし、体調はいいです!!

明日の最終ブレオ(一日中点滴でお風呂に入れない)に備えて入浴を済ませ、一日ゆったりした時間を過ごしました。

 

2010.12.14(火)3クール16日目

この日はBEP療法火曜日、ブレオマイシンの点滴日です。

最後の抗がん剤です。

 

メニューは、

①点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分 

②点滴(ブレオマイシン)100ml・・・1時間

③点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

 

のメニューです。

前回でもお話ししましたが、再度ざっと薬剤の内容を。

・ソルラクト:水・電解質が主な主成分

・デカドロン:ステロイドに分類される。吐き気嘔吐を抑える

ブレオマイシン抗悪性腫瘍剤

今回の発熱は37.8℃と、それほど高くはなく、そして、熱はありますがしんどくもなく。

ただ、頭痛がひどくて、鎮痛剤を処方してもらって内服しました。この頭痛は、副作用によるものなのか、偏頭痛(もともとよく頭痛が起こる方なので)なのかはわかりませんが・・・。

 

この日はたいした異変もなく、無事終了しました。

終わったぁーーーー!!!!

───O(≧∇≦)O────

 

2010.12.15(水)3クール17日目

抗がん剤に対する慣れなのか、昨日ブレオを点滴したにも関わらず、副作用等の症状はありませんでした。

 

もう、とにかく食欲は増すばかり。

先週の、食べ過ぎによる「急性胃炎」のこともあるので、抑えてはいますが。。。

味覚は戻らず、白米はそのままでは美味しくなくて、ふりかけ必須!ふりかけしても、ネバっと感じる舌触りがなんとも言えない感触で不快で、お腹が空いていても白米は苦手なまま…。けど、お腹空いてるから食べるんですけどね笑

 

夕方、主治医の先生の回診。

「おめでとうー!!よく頑張った!!!」

「明日、ひと通り検査して異常なければ金曜に退院にしよか!!」

 

やったー!!!!!

ついに「 退 院 」の2文字!!!

 

2010.12.16(木)3クール18日目

朝から検査のスケジュールに追われていました( ̄◇ ̄;)

採血・レントゲン・肺機能・MRI

 

採血、この入院中に何回したかわからないくらい、、、抗がん剤の影響もあるらしいのですが、いつもの血管で採血できなくなっていて・・・看護師さん、何度も刺してました(^_^;)

 

レントゲンは、レントゲン室から呼び出しがあってから向かいました。車椅子で行ったこともあったなぁ〜とか思い出しながら。

午後から肺機能検査、この肺機能検査がどうも苦手でうまくできなくて「フーーー!!!」って何度もやり直し(絶対、コイツ下手だなって思われてると思う(涙))、かなり疲れて病棟に戻ったらすぐMRIの呼び出しがかかって、休憩する間も無く検査衣に着替えて向かいました。

MRI、呼び出しがかかってすぐ向かうけど、毎回30分は待合椅子で待ちます・・・。

手荷物持参禁止なので、時間潰しに本とかも持って行けず、ただボーっと座って待つしかなく(^_^;)

検査中はいつものように、うるさい機械の中ウトウト寝てました(笑)

 

あぁ・・・検査疲れた・・・。

 

と思って病室へ。

母が、明日退院だったらと、キャリーケースなど帰る準備物を持って着てくれていました。長い入院生活により、入院時よりも荷物が増えてる・・・旅行より荷物多いし(^◇^;)

 

夕方、両親同席で主治医の先生から説明がありました。

 

「今日の検査、帰れないほどの異常はなかったので明日退院にします。」

 

「白血球の数値が少ないので、明日注射(グラン)をして帰ってください。」

 

「全身の検査をしたいので年明けにガリウムシンチの検査を受けてもらおうと思っています」

 

「前回と今回、MRIで小さい腫瘍っぽいのが見えていて、手術が必要か、年明けもう一度MRIをさせてください」

 

ガリウムシンチグラフィとは、腫瘍や炎症部位に集まる放射性薬剤を静脈投与した後、放射性薬剤の集積程度を特殊なカメラ(ガンマカメラ)で撮像することで、悪性腫瘍の診断や発熱の原因を調べる検査。

 

ということで、一旦退院が決まりました!!

年が明けたら、再びいろいろ検査をして、必要ならまた再入院・再手術となる予定です。

 

入院最後の晩餐は、クリームシチュー・サラダ・スープ・ご飯。ご飯乗っけでクリームシチューをペロリといただきました。

退院の支度で忙しく消灯時間を迎えました。

 

抗がん剤治療は10月・11月・12月の3ヶ月間。この3ヶ月、一日一日はしんどすぎて長く感じていたんですけど、終わってみたらあっという間だったような気がしています。

たくさんの出会いもあり、別れもあり、この経験をしなければ普段気づかなかったことがたくさんありました。

 

当たり前の毎日にただただ感謝ということ。

 

治療の最中は歩けなくなって、トイレへも行けず、ベッド上でただ時間が過ぎるのを待つだけの日々も経験しました。毎日当たり前のように朝布団から起き上がって一日が始まる。それすら叶わない日々を過ごしたからこそ、感じたことです。

 

2010.12.17(金) 退院日

退院の朝です。

いつもの朝食、パン・ジャム・卵焼き・ヨーグルト・牛乳・果物。

パジャマから普段着(入院時と季節が違いすぎて、持ってきてもらった^^;)に着替えて、ウィッグも被って、まずは入院中に出会った入院中の奥様方にご挨拶。いつものように、やはり朝食の後の下膳ワゴンの前のベンチで集まって喋ってました。

 

「よぉがんばったなぁ」

「これから人生長いんやから、元気でいるんやで」

「しんどい思いしたんやから、これからええことあるよ」

 

たくさん嬉しい言葉かけてもらいました。

 

そして荷物も点検して、退院しました。

こうして、3ヶ月の入院生活が終わりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卵巣胚細胞腫瘍 〜BEP療法3クール2週目〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

 

BEP療法とは・・・ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンという3つの抗がん剤を併用する治療法です。

 

3クール2週目。

副作用のまっただ中。今年は暖かい秋のようでしたが(ほとんど病院外に出ていないので・・・)、外はすっかり寒くなっているようで、病室から見える楓の木たちが少し遅めの紅葉しています。

 

2010.12.6(月)3クール8日目

朝起きたら突然、倦怠感が少し抜けていました。

ベッドのリクライニングを使って、上体を起こすことができました。また、スポーツドリンクなら少しずつチビチビ飲めました!しかし、飲水量は足りないとのことで、点滴(ソルラクト)はしていました。

1クール、2クール目よりは状態はよかったです。

 

2010.12.7(火)3クール9日目

夜中、下腹部が痛くて(恥骨のあたり)3度ほどナースコールを鳴らして車椅子でトイレへ駆け込みました。しかし、あきらか便意でもなく・・・。しばらくすると強い尿意も感じ、バルーンの管の色がいつもと違ったように見えて(赤っぽく濁って)いました。看護師さんに相談するも、朝まで待たないと何もできないと言われ、夜中はこの尿意と下腹部痛を耐えて過ごしました。

 

朝になり、夜中の“車椅子⇄ベッド“の移動に強制的に体を動かしたおかげもあってか、倦怠感はかなり抜けました。

 

夜中に苦しんだ下腹部痛は膀胱炎の診断でした。(なんとなく予想はしていましたが・・・^^;)

 

倦怠感が抜けてトイレまで歩行器で自力でなんとか動けるようになったので(というか、この下腹部の苦痛から逃れたいがためになんとしても歩いてました(^_^;))、とりあえずバルーンは抜きました。そのバルーンを抜いた後・・・膀胱炎の影響で尿もれを起こしていました。

 

さらに排尿の時の痛みがハンパない!!!( ̄◇ ̄;)

 

さらにさらに、痛いのに何度もトイレに行きたくなるという…。

 

BEP療法1クール目1週目(下記ブログ参照ください)の水様便の時と同様、とりあえず手持ちの生理用ナプキンの出番です。(※生理用ナプキンは本来、尿もれに適応ではありませんのでおすすめしません。。。m(_ _)m)

 

hahalog2022.hatenablog.com

 

膀胱炎に対して、抗生剤が処方されました。

 

そして!!

この日はBEP療法火曜日、ブレオマイシンの点滴日です。

メニューは、

①点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分 

②点滴(ブレオマイシン)100ml・・・1時間

③点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

 

のメニューです。

前回でもお話ししましたが、再度ざっと薬剤の内容を。

・ソルラクト:水・電解質が主な主成分

・デカドロン:ステロイドに分類される。吐き気嘔吐を抑える

ブレオマイシン抗悪性腫瘍剤

 

今回も38.2℃まで発熱がありましたが、しんどさはあまり感じませんでした。膀胱炎の苦痛の方が勝っていたのかもしれませんが( ̄◇ ̄;)

胸の圧迫感、吐き気もなかったです。

点滴+膀胱炎のため多めに飲水していたため、カラカラ点滴を押して歩行器で頻回にトイレへ通っていました。それを見た同じ病棟に入院している奥様方※が点滴スタンドを押すのを手伝ってくれたりしました(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

※病棟の奥様方:婦人科病棟で入院している、入院マスターな奥様方。たいていいつも誰かは病棟のベンチで井戸端会議している。皆、何かしらの悪性腫瘍を抱えて治療中。

 

2010.12.8(水)3クール10日目

前日のブレオの影響なのか、膀胱炎の影響なのかは不明ですが、少し倦怠感がありました。なんとか歩行器で歩行はできています。

膀胱炎の症状はまだよくならず、抗生剤の内服を続けています。

食欲が復活してきて、昼に「コーンマヨネーズパン」とデザートにプリンを食べました。食欲は戻ってきています。しかし、味覚異常はなかなか良くなりません。元の味覚に戻れるのかだんだん不安になってきました…。

 

2010.12.9(木)3クール11日目

膀胱炎が少し落ち着いてきました。尿もれはなくなり、生理用ナプキンも外しました。

歩行器なしてよたよた歩くこともできるようになりました。

そして、久々に病棟のお風呂で入浴しました!!

12月の風呂・・・めちゃ寒いっっっ!!!!

シャンプーでまともに髪を洗ったのが10日ぶり…ということもあり、抜けた髪とまだ抜けていない細い髪が団子状になってからまって、どうしようもなく看護師さんにハサミで切ってもらいました。

この切ってもらったことにより、髪はほとんど無くなりました。極細の毛がチョロチョロ残ってるくらいです。

 

この頃になったら、ベッドや枕につく髪の量も減ってきました。

抜けることへのショックはあまり感じていませんでした。ウィッグを用意したり、はじめから「100%抜ける」と言われていたから心の準備ができていたからかもしれません。

 

\脱毛のことはこちらのブログへ♪/

hahalog2022.hatenablog.com

2010.12.10(金)3クール12日目

膀胱炎も治り、体調は回復傾向にあります。

まだ味は感じにくいのですが、病院食を再開しました。

とにかくお腹が空いて、3食の食事以外にも間食(コンビニのおにぎりを食べたり、ポテチ食べたり(^_^;))をして過ごしていました。母親に注意されても、欲が止まらず(というか、止められない)。

 

しかし、その祟りが夜訪れました・・・。

 

夕食後、胃がものすごく痛くなって、何度も嘔吐を繰り返しました。主治医の先生がちょうどまだ病棟にいて診察、点滴をしてもらいました。言うまでもなく・・・

 

暴飲暴食による「急性胃炎」とのこと。

 

お恥ずかしい(*´Д`*)

この状況になっても、まだ食べたい!!と、とりあえずアメをなめて落ち着かせていました。満腹中枢がバグったのかと思うくらいの異常なまでの食欲でした。それもまた、ジャンクフードが食べたいという…。この夜は、自身の欲との闘いでした。

 

2010.12.11(土)3クール13日目

2010.12.12(日)3クール14日目

 

翌朝には、急性胃炎は落ち着いていました。

朝食はパン食から全粥食に変わっていました(^_^;)粥ではお腹は落ち着かなく、、、しかし昨日のこともあるのでそれ以上は食べずにひたすらガマンです。。。

 

毎週の注射、「グラン」を注射しました。(好中球減少のため)

 

トイレへ行く途中にベンチがあって、病棟の奥様方と雑談していると、個室の方で慌ただしく出入りしているのが見えました。すると奥様の一人が

「亡くならはったんやなぁ…」

と。このベンチで話しをしたこともある方でした。

この病棟で入院している半数は悪性腫瘍の治療をしているわけで、皆、命と隣り合わせです。自分もここまでの治療をして、がん細胞なんて目に見えないし治っているのかもわからないけれど、それでも生きるために治療に耐えてきました。

病院職員としてではなくて、患者として「死」を近くで感じて、なんとも言えないとても複雑な心情でした。

夜、ベッドでひとり

「なぜ、ここまでしんどい思いをしてまで生きるんだろう?」

「なぜ、私は(今のところ)助かって生きているんだろう?」

考えればキリがないくらいです。いろいろ考えさせられ、涙が止まりませんでした。

 

翌週はいよいよ最終週です。

最後のブレオと肺機能、MRIなどなど検査たちが終われば、いよいよ退院です!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

卵巣胚細胞腫瘍 〜BEP療法3クール1週目〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

 

BEP療法とは・・・ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンという3つの抗がん剤を併用する治療法です。

 

3クール目の始まりです。

髪はほぼ抜けました。そして、体重はすっかり落ちました。(筋肉量が激減しているのもあると思います。)大概の副作用は経験してきました。そんな最終クールの始まりです!!

 

\ BEP療法についてはこちらへ /

hahalog2022.hatenablog.com

 

2010.11.29(月)3クール1日目

いよいよ3クール目、最終クールの始まりです。

「これで終わりだぁー!!」と喜ぶ自分と、「またイチから始まるのか・・・」と気落ちする自分とが混在しています。

今回も、また朝8時から

 

1・2クールと全く同じく、

予定は・・・

①点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

②点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分 + 内服薬(イメンド)

③点滴(ラステット)500ml・・・2時間

④点滴(プラトシン)500ml・・・2時間

⑤点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

 

のメニューです。抗がん剤赤文字で記載しています。

 

ざっと薬剤の内容を。

・ソルラクト:水・電解質が主な主成分

・デカドロン:ステロイドに分類される。吐き気嘔吐を抑える

・アロキシ:抗がん剤薬による嘔吐中枢への刺激を阻害する。

・イメンド:抗がん剤薬による嘔吐中枢への刺激を阻害する。

ラステット:一般名エトポシド抗悪性腫瘍剤

プラトシン:一般名シスプラチン抗悪性腫瘍剤

 

朝8時半から点滴が始まりました。

①⑤と並行して、②〜④を順に点滴です。

 

1、2クールの時と同様、初日は特に異常なく過ぎていきました。

 

2010.11.30(火)2クール2日目

①点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

②点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分 + 内服薬(イメンド)

③点滴(ラステット)500ml・・・2時間

④点滴(プラトシン)500ml・・・2時間

⑤点滴(ブレオマイシン)100ml・・・12時間

⑥点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

 

のメニューです。

火曜日は、BEP療法フルコースの日です。

⑤のブレオマイシン、1、2クールともにこれを機に副作用が一気にきた気がしています。

  \ その様子がこちらの記事 /

www.hahalog2022.com

明日以降、要注意です。

1クールの時は、3日目に水様便が出て大変だったので2クール目はあらかじめ生理用ナプキン(夜用40cm)をショーツにつけて対策をしていました。で、その後何もなかったのです。今回はどうするか、もし1クールの時みたいに水様便が出たらどうしよう…とかなりビビって今回も生理用ナプキンで対策しました。

倦怠感、吐き気、味覚異常共に悪化してないです。そんな気配もなくむしろ元気な状態で消灯を迎えました。

 

きっと翌日から動けないだろうと思い、入浴はできない(一日中点滴つなげっぱなしなので)ので、全身温タオルで拭いて、洗顔→化粧水もして、しっかり歯も磨いて、翌日から起き上がれないであろう倦怠感に挑みました。

 

2010.12.1(水)3クール3日目

な、なんと。

倦怠感はあるものの、起き上がれないほどではなく∑(゚Д゚)

食欲はありませんでしたが、パンなら少しずつかじってバターロールを1個食べる程度でした。

絶対起き上がれなくなると思って、前日夜は色々対策していたほど。自分が一番ビックリです!!

 

この日のメニューは、

①点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

②点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分 + 内服薬(イメンド)

③点滴(ラステット)500ml・・・2時間

④点滴(プラトシン)500ml・・・2時間

⑤点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

です。

 

午前中の元気はどこへやら、夕方からやはり起き上がれなくなりました。一気にダウンです・・・。

そして今回も自ら「バルーンカテーテル」(いわゆる、おしっこの管)の挿入をお願いしました。そしてベッドでただ天井を眺める「無」の時間が始まりました。

 

2010.12.2(木)3クール4日目

メニューは、

①点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

②点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分

③点滴(ラステット)500ml・・・2時間

④点滴(プラトシン)500ml・・・2時間

⑤点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

 

です。

朝から完全にベッド上から動けません。寝返りも、もうしんどいです。

BEP療法が始まって3クール目にして初めて嘔吐しました。それまで吐き気止まりで実際嘔吐したことはありませんでした。と言っても先日夕から食べていないので、ほとんど出る物もなく、胃液(?)が出るだけでした。

そして、2クール目と同様、口内炎が出てきました。

 

2010.12.3(金)3クール5日目

メニューは、

①点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

②点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分

③点滴(ラステット)500ml・・・2時間

④点滴(プラトシン)500ml・・・2時間

⑤点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

です。

BEP療法1週目の最終日です。

変わらず倦怠感で起き上がれません。嘔吐は落ち着いて吐き気のみになりました。また、口の中の痛みは変わらずです。

 

これを越えれば、火曜日のブレオを除いてまとまった抗がん剤治療は終了です。後は回復するのを待つのみ。

今後の回復に期待して、ベッド上でただ時間が過ぎるのを耐える時間を過ごしていました。

 

2010.12.4(土)3クール6日目

2010.12.5(日)3クール7日目

一日することもなく。できることもなく。

ただ天井と外を眺めるだけの一日でした。

 

各クール1週めの週末は、毎回倦怠感でまともに動くこともできず、ベッドで時間が過ぎるのをただ待つ、、、。歯磨き、洗顔、トイレへ行くこと、体を起こすこと、寝返りすら困難で。しんどいことよりも、当たり前にできていたことができないことへのショックが大きかったです。

 

こうして、ようやく3クール1週目が終わりました。

回復すれば、治療が終わる、と希望を持ってただ耐える時間を過ごす週末。翌週は、これまで通りなら回復するであろう2週目です。

 

それでは、良い1日を( ´∀`)