ようこそ!
病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍になって職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(・̑◡・̑)
術後の説明
手術翌日夜には少しフラつくものの、歩けるようになりかなり回復しました。トイレへも難なく行けるので、バルーン(尿道の管)も外してもらい、食事も普通食にしてもらい、普段とほぼ変わりありません。
術後2日目。
主治医からの手術に関しての説明がありました。
内容としては、
・腫瘍は全て切除できた
・卵巣の大きさが左15cm、右6cm
・腹水は予想以上にたまっていた
・卵巣腫瘍の他に、小豆ほどのサイズの子宮筋腫がいくつもあったので一緒に切除した
・腫瘍は全て病理検査に出しているので、結果は退院後外来でになる
等の説明でした。
婦人科医師「とりあえず、今回はこれで入院しての手術は終わりになります。回復が早いので予定より早く退院できますよ」
ということで、術後4日にして退院しました。
気になる、主治医の「とりあえず今回は」というワード。
このときは、何も気にもかけず、
やったー!!終わったー!!!
ってな感じでただただ喜んでいたのでした。
退院後外来受診〜告知を受ける〜
退院後は、2週間仕事を休みました。
1週間は実家(一人暮らしの家から20分ほど)で過ごし、職場復帰も控えているので、後の1週間住んでいる家に戻って過ごしていました。
職場復帰したのは9/22(火)。
翌日9/23(水)に外来受診でした。
この日は、婦人科は午前だけの診察日。一番最後の時間で予約を取ってくれていたので、昼休憩に合わせて外来受診しました。
診察室に呼ばれ、主治医の術後の異常がないか等の内診を済ませた後、診察室にて、予想もしていなかった衝撃的なことを告げられたのでした。
⚫︎病理の結果、「胚細胞腫瘍」のなかの「未熟奇形腫」という種類の腫瘍であったこと。
⚫︎これは境界悪性の腫瘍であること。境界と言っても、今回ほぼ悪性だといっていいくらいの腫瘍であったこと
⚫︎できるだけ早く、抗がん剤治療をしないと進行してしまうこと
この抗がん剤治療をBEP療法といって、身体への負担はかなり大きいこと
⚫︎副作用として、倦怠感、嘔気・嘔吐、脱毛、不妊、肺機能・腎機能の障害、血液への障害(主に白血球の減少)など、幾つもの副作用があること
⚫︎治療しないと、このまま進行して再発は免れない。となると転移することも考えられる。
最低3ヶ月の入院
等の説明だったようです・・・。
このとき主治医の先生からもらった説明の記録、自分の記録を見ると、そう説明を受けていたようです。
というのも、記憶がないんです。境界悪性の件までは覚えているのですが、あまりの衝撃に記憶が飛ぶという・・・。
会計して帰ったのかも覚えておらず、覚えているのは、職場である病棟に戻って看護師長さんに説明をして泣いたこと、病棟にいた先生たちに励まされたこと、その日はそのまま午後を休みにしてもらい帰ったこと。
退院前の診察で先生が「とりあえず今回は」と言っていたこと、このとき気づきました。
これからまだまだ先が続くんや。
なんなら、これからの方が長い…。治療は順調にいって年末までかかってしまう。。。
とりあえず、連絡せねば。
まずは両親。
自分の子がガンになるって、絶対ショックやろうなぁ…と思いつつ連絡。返ってきた言葉は「やっぱり。」でした。
術後すぐ私は全身麻酔でまだ朦朧としていた頃、両親だけ主治医からこれから治療になる可能性もあると聞かせれていたそうで。それを知っていて術後、普段と変わりなく接してくれていたことにまた涙。。。主治医から聞かせれて2週間ほどたっていたこの頃には、気持ちも落ち着いていたようでした。けど、娘が病気というショックはきっとあるだろうと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そして、もう1人。
彼氏にも話さなければ。
私にとって「不妊」というワードが刺さっていて。将来、子供を産めないのだろうと思うと、彼氏とこのまま関係を続けていていいのだろうか、ということが一番頭をよぎってしまい。そしてこれからの治療のこと、自分の彼女が入院してってきっと負担になるだろうとか…いろんなことを悶々と考えていたところ、
「今はそれよりも、治療して生きることが先決」
とピシャリと言われ、我に返りました。
そうや!仕事のこと、これからのこと、いろいろ考えることが多くて頭がパンク状態だったけど・・・とにかく生きるために治療に専念しよう!!と覚悟を決めて、抗がん剤治療に臨みました。
私して、季節も変わる長い入院生活が始まるのでした!
では、良い1日を!!