ははログ。〜気ままな日常キロクと卵巣胚細胞腫瘍のこと〜

はじめまして!卵巣胚細胞腫瘍の闘病記録とともに、日常のあれこれ書いてます!

卵巣胚細胞腫瘍 〜BEP療法3クール2週目〜



ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

 

BEP療法とは・・・ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチンという3つの抗がん剤を併用する治療法です。

 

3クール2週目。

副作用のまっただ中。今年は暖かい秋のようでしたが(ほとんど病院外に出ていないので・・・)、外はすっかり寒くなっているようで、病室から見える楓の木たちが少し遅めの紅葉しています。

 

2010.12.6(月)3クール8日目

朝起きたら突然、倦怠感が少し抜けていました。

ベッドのリクライニングを使って、上体を起こすことができました。また、スポーツドリンクなら少しずつチビチビ飲めました!しかし、飲水量は足りないとのことで、点滴(ソルラクト)はしていました。

1クール、2クール目よりは状態はよかったです。

 

2010.12.7(火)3クール9日目

夜中、下腹部が痛くて(恥骨のあたり)3度ほどナースコールを鳴らして車椅子でトイレへ駆け込みました。しかし、あきらか便意でもなく・・・。しばらくすると強い尿意も感じ、バルーンの管の色がいつもと違ったように見えて(赤っぽく濁って)いました。看護師さんに相談するも、朝まで待たないと何もできないと言われ、夜中はこの尿意と下腹部痛を耐えて過ごしました。

 

朝になり、夜中の“車椅子⇄ベッド“の移動に強制的に体を動かしたおかげもあってか、倦怠感はかなり抜けました。

 

夜中に苦しんだ下腹部痛は膀胱炎の診断でした。(なんとなく予想はしていましたが・・・^^;)

 

倦怠感が抜けてトイレまで歩行器で自力でなんとか動けるようになったので(というか、この下腹部の苦痛から逃れたいがためになんとしても歩いてました(^_^;))、とりあえずバルーンは抜きました。そのバルーンを抜いた後・・・膀胱炎の影響で尿もれを起こしていました。

 

さらに排尿の時の痛みがハンパない!!!( ̄◇ ̄;)

 

さらにさらに、痛いのに何度もトイレに行きたくなるという…。

 

BEP療法1クール目1週目(下記ブログ参照ください)の水様便の時と同様、とりあえず手持ちの生理用ナプキンの出番です。(※生理用ナプキンは本来、尿もれに適応ではありませんのでおすすめしません。。。m(_ _)m)

 

hahalog2022.hatenablog.com

 

膀胱炎に対して、抗生剤が処方されました。

 

そして!!

この日はBEP療法火曜日、ブレオマイシンの点滴日です。

メニューは、

①点滴(デカドロン・アロキシ)100ml・・・30分 

②点滴(ブレオマイシン)100ml・・・1時間

③点滴(ソルラクト)1000ml・・・5時間

 

のメニューです。

前回でもお話ししましたが、再度ざっと薬剤の内容を。

・ソルラクト:水・電解質が主な主成分

・デカドロン:ステロイドに分類される。吐き気嘔吐を抑える

ブレオマイシン抗悪性腫瘍剤

 

今回も38.2℃まで発熱がありましたが、しんどさはあまり感じませんでした。膀胱炎の苦痛の方が勝っていたのかもしれませんが( ̄◇ ̄;)

胸の圧迫感、吐き気もなかったです。

点滴+膀胱炎のため多めに飲水していたため、カラカラ点滴を押して歩行器で頻回にトイレへ通っていました。それを見た同じ病棟に入院している奥様方※が点滴スタンドを押すのを手伝ってくれたりしました(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

※病棟の奥様方:婦人科病棟で入院している、入院マスターな奥様方。たいていいつも誰かは病棟のベンチで井戸端会議している。皆、何かしらの悪性腫瘍を抱えて治療中。

 

2010.12.8(水)3クール10日目

前日のブレオの影響なのか、膀胱炎の影響なのかは不明ですが、少し倦怠感がありました。なんとか歩行器で歩行はできています。

膀胱炎の症状はまだよくならず、抗生剤の内服を続けています。

食欲が復活してきて、昼に「コーンマヨネーズパン」とデザートにプリンを食べました。食欲は戻ってきています。しかし、味覚異常はなかなか良くなりません。元の味覚に戻れるのかだんだん不安になってきました…。

 

2010.12.9(木)3クール11日目

膀胱炎が少し落ち着いてきました。尿もれはなくなり、生理用ナプキンも外しました。

歩行器なしてよたよた歩くこともできるようになりました。

そして、久々に病棟のお風呂で入浴しました!!

12月の風呂・・・めちゃ寒いっっっ!!!!

シャンプーでまともに髪を洗ったのが10日ぶり…ということもあり、抜けた髪とまだ抜けていない細い髪が団子状になってからまって、どうしようもなく看護師さんにハサミで切ってもらいました。

この切ってもらったことにより、髪はほとんど無くなりました。極細の毛がチョロチョロ残ってるくらいです。

 

この頃になったら、ベッドや枕につく髪の量も減ってきました。

抜けることへのショックはあまり感じていませんでした。ウィッグを用意したり、はじめから「100%抜ける」と言われていたから心の準備ができていたからかもしれません。

 

\脱毛のことはこちらのブログへ♪/

hahalog2022.hatenablog.com

2010.12.10(金)3クール12日目

膀胱炎も治り、体調は回復傾向にあります。

まだ味は感じにくいのですが、病院食を再開しました。

とにかくお腹が空いて、3食の食事以外にも間食(コンビニのおにぎりを食べたり、ポテチ食べたり(^_^;))をして過ごしていました。母親に注意されても、欲が止まらず(というか、止められない)。

 

しかし、その祟りが夜訪れました・・・。

 

夕食後、胃がものすごく痛くなって、何度も嘔吐を繰り返しました。主治医の先生がちょうどまだ病棟にいて診察、点滴をしてもらいました。言うまでもなく・・・

 

暴飲暴食による「急性胃炎」とのこと。

 

お恥ずかしい(*´Д`*)

この状況になっても、まだ食べたい!!と、とりあえずアメをなめて落ち着かせていました。満腹中枢がバグったのかと思うくらいの異常なまでの食欲でした。それもまた、ジャンクフードが食べたいという…。この夜は、自身の欲との闘いでした。

 

2010.12.11(土)3クール13日目

2010.12.12(日)3クール14日目

 

翌朝には、急性胃炎は落ち着いていました。

朝食はパン食から全粥食に変わっていました(^_^;)粥ではお腹は落ち着かなく、、、しかし昨日のこともあるのでそれ以上は食べずにひたすらガマンです。。。

 

毎週の注射、「グラン」を注射しました。(好中球減少のため)

 

トイレへ行く途中にベンチがあって、病棟の奥様方と雑談していると、個室の方で慌ただしく出入りしているのが見えました。すると奥様の一人が

「亡くならはったんやなぁ…」

と。このベンチで話しをしたこともある方でした。

この病棟で入院している半数は悪性腫瘍の治療をしているわけで、皆、命と隣り合わせです。自分もここまでの治療をして、がん細胞なんて目に見えないし治っているのかもわからないけれど、それでも生きるために治療に耐えてきました。

病院職員としてではなくて、患者として「死」を近くで感じて、なんとも言えないとても複雑な心情でした。

夜、ベッドでひとり

「なぜ、ここまでしんどい思いをしてまで生きるんだろう?」

「なぜ、私は(今のところ)助かって生きているんだろう?」

考えればキリがないくらいです。いろいろ考えさせられ、涙が止まりませんでした。

 

翌週はいよいよ最終週です。

最後のブレオと肺機能、MRIなどなど検査たちが終われば、いよいよ退院です!!!