ははログ。〜気ままな日常キロクと卵巣胚細胞腫瘍のこと〜

はじめまして!卵巣胚細胞腫瘍の闘病記録とともに、日常のあれこれ書いてます!

胚細胞腫瘍〜その後の話〜

ようこそ!!

病院職員として働いていた28歳、胚細胞腫瘍(未熟奇形種)の治療のため、職場でもある病院にて闘病生活を送る記録です(๑・̑◡・̑๑)

今回は、その後の話。

2010年4月に体の不調により受診してからすべての治療が終了したのが2011年2月。(その間の手術・抗がん剤治療などなど、過去のブログをご覧ください♪)

最終的には“寛解”状態で退院しました。

2011年2月上旬に退院して、2011年2月下旬に仕事復帰しました。

2011年2月仕事復帰

・・・これ、今から考えたら、もう少し休んでもよかったんじゃない!?って思ったりもしますがますが^^;

2月初めに受けた再手術が簡単なものだったので体力の消耗はほとんどなく元気だったのもありますが、仕事への「焦り」もありました。

突然長期休むことになって、休んでいる間は代理の方がいたのですが、あくまで“代理“であって、いわば“席を残してくれている"状態。退院の挨拶に伺った時に感じた「圧」もあったりなんかして…そんなこともあって、早期に復帰しました。

んーーーーー(大きな声ではいえませんが)ブラックを感じる状況・・・( T_T)

 

それはさておき、ほぼ半年ぶりの仕事。

慣れた職場とはいえ、かなり疲れました。やはり体力は低下していました。

あと、抗がん剤の影響で食欲が増したのですが、昼食を待たずしてお腹が空いて、それを我慢するのが大変でした^^;

 

◆婦人科診察

2011年2月下旬

採血、内診ともに特に異常ありませんでした。

入院中減少していた白血球も正常値に戻っていました。

抗がん剤治療中には抜けずに残っていたまつ毛、眉毛がほぼ抜けてしまいました。診察の時、主治医の先生に聞いてみたところ、時間差で抜けることは聞いたことがなくてはっきりとした原因は不明だけど、まぁ、副作用の影響だろうなぁ、、、とのこと。

髪が抜けた今、そんなに驚くこともなく「まぁ、そのうち生えるっしょ」って軽く思っていました。

婦人科は1ヶ月に1度の頻度で受診でした。

毎回採血と内診で、異常はありませんでした。

 

◆ウィッグ生活について

頭皮が接触性皮膚炎を起こしました

季節は冬。髪がないとめちゃ寒いです( T_T)

2月の退院後から毎日ウィッグにお世話になっていました。

普段使っているウィッグの他に、ロングヘアのもの、ミディアムパーマのものなど、今の髪のない時期に色々髪型を楽しもう♪と思ってネットでポチってました^_^

 

ネット帽を被ってからウィッグを着けるのですが、髪がなく地肌にネットなので痒くて>_<頭皮が軽い「接触性皮膚炎」を起こしていました。乾燥も一因のようです。髪が抜けた頭皮って、他の露出している皮膚(腕とか足とか顔とか・・・)に比べて触った感じ皮膚が柔らかい気がしました。皮膚が弱いのかな〜なんて素人ながらに思ったり。

外用薬で治療していましたが、それでもウィッグを被っているのでなかなか改善せず。家にいる間はウィッグなしで帽子もなしで生活していました。

寒いんですけどね・・・。

春頃(3月下旬)には、症状は改善しました。

 

そして、その頃うっすら産毛が生えてきました

毛が生えてきた!!

そう、全脱毛状態からうっすらと髪が生えてきました\(^^)/

2010年12月中旬に治療が終わってから3ヶ月が過ぎた頃。思ったより早かったです。鏡で目をよーーーーーーく凝らして見たらですけど(^_^;)触ったらフワッと柔らかいです。

多分、言われてみないと他人にはわからないレベルですが、生えてきた喜びはかなり大きかったです。

産毛が生え始めて、徐々に生えてくる毛が太くなり、濃くなり・・・。

7月上旬、いよいよ脱ウィッグしました!!!

 

脱ウィッグ

7月上旬。髪が生えてきて、もう頭皮は見えていません。眉毛、まつ毛も生えてきました。

髪は生えっぱなしなので長さは揃っていないので襟足だけが長くて、ウィッグからチョロっとはみ出していました。

 

そろそろ脱ウィッグしようかな。

 

ということで、ずっと通っている美容室で揃えてもらうことにしました。で、ベリーショートで脱ウィッグ生活のスタートです♪

ウィッグは洗わなくてもいいし、軽いし、なんてラクなんだ!!!

こうして、ウィッグたちとお別れしました。

 

◆もっとその後の話。

髪が生えてきて、婦人科的にも毎月の診察で全く異常はなく・・・見た目も中身もすっかり落ち着いて、元の日常に戻って毎日を過ごしていました。

 

そして翌年2012年、結婚しました。

私が一番気にしていたこと。治療前に「抗がん剤によって不妊のリスクがある」という説明を受けていたことが、私の中では引っかかっていました。が、彼は「子供がいないなら、それはそれで人生を楽しんで過ごそう」と言ってくれたのでした。

「子供ができなきかも」という中で、結婚したのですが・・・・

 

2013年3月、長男出産しました。

夫、両親、義両親、主治医、そして私・・・結婚後数ヶ月後に妊娠が判明した時には全員が驚きでした。

妊娠中は特にトラブルもなく経過し、破水からはじまったお産も初産にしては安産でした。婦人科の主治医の先生が「自分がとりあげる」と病棟の助産師さんに言っていたそうで、当番医ではなかったにもかかわらず、朝早くから来てくれました( T_T)

 

そして、2015年、次男出産しました。

次男が生まれたのは、長男がもうすぐ3歳になろうかというときでした。妊娠中は全くと言っていいほどトラブルはなく。いざという時子供も泊まれる実家近くの産院で出産しました。

 

38週のある日、夕食中に痛ててて・・・って感じの歩ける程度ですが痛みを感じたので、一応産院に電話して「じゃ、一応内診してみましょうか〜」と助産師さんじいちゃんに産院に送ってもらって(私だけ降りた)産院の階段上がって受付途端に本格的に陣痛の痛みを感じる内診。すでに全開分娩台乗った途端に破水1分おきの陣痛頭が見えてる3回いきむ生まれる(所要時間:夕食から1時間20分)

立ち会い出産できたにもかかわらず、誰も間に合わず(笑)

と言った具合の、バタバタの出産でした。

 

この子供達も成長し、主な趣味が、

鉄道・昆虫・動物

です。

今後、これらを中心に日常のことも投稿して行こうかと思っています( ^∀^)